私と猫の古い農家屋敷生活

昭和っぽい、広くて古い農家の屋敷に暮らしています。地方都市近郊なのに、農村感あるこの家で考えることを綴っていきます。

 薬に頼るも良し

長いこと気分がすぐれず、

日々の生活は送りながら

仕事もしながら

笑いもある時間を過ごしながらも、

ごくごく軽いものを1ヶ月処方してもらい

なんとか復活の兆しが見えての復活です。


早朝からのネット予約でも150番目で

診察終わりは21時頃になるので

何度も断念して



予約キャンセルしたけれど、

業務も滞りがちで上司にも心配をかけたことから

やっと決心してみました。


それにしても

お若い患者さんが多いこと。

それもごくごく普通の最近の若者達。

みんな悩んでるんだな。

そんなことを知ったのも効用の一部かも。


まだまだ忘れることもできず、

毎日思い出すのだけれど、

残された子たちよりも長生きしないといけない。


今回初めての葬儀屋さんにお願いしたのですが、

四十九日にお葉書をいただき、

営業サービスとしてのその気遣いには驚かされたし、

それ以上に

自分の時間が止まっていたことに愕然とした。

進んでいるようで留まってたことに。


自分が普通でないことを認めて、

まずは薬効があると思ってみよう。

闘病🐈の終わり

GWから頑張ってくれていた命は

さっきあっけなくなくなってしまった


二度の入院にレンタル酸素室

朝晩の薬

隔離しての私の二重生活


なのでしばらくご無沙汰してしまいました


一番甘えん坊で

一番抱っこしたがったのは

みんなより早くお別れするからだったのかな

元気も一番だったのに

先天的に

後悔のない別れとは

今日は辛うじて出勤したけれど 

後悔の言葉を自問自答し続けていた。


誤解されるかもしれないけれど

親が亡くなった時よりも悲しい気持ち。


なぜなら私の場合、

親とはずっと仲良く

たくさんの思い出もあり

お互いに幸せを与え合ったという満足感がある。


たしかに今でも

もっと長生きしてくれればよかったのに

と思うことも度々あるし

もっと一緒にいられたら

それは幸せだったとも思うけれども。


今ある後悔は、

会話のできない相手だったことで

本当に幸せな生涯を過ごせていたのか

本人に聞くことができない

自分より儚い存在だったからなのだと思う。



しばらく後悔は続く